社団法人奴奈川青年会議所のホームページです。新潟県の西端にあたる糸魚川市、能生町地区、青海町地区の若者が集う青年会議所です

[ 会員拡大について ]

 地域にとってJC(青年会議所)とは「豊かで活力ある」地域を創造するために必要とされるなくてはならない存在です。しかし、以前は70名近くの会員数だった当(社)奴奈川JCも、時代の流れには逆らえず、近年はの会員数は約50名前後という状況です。

 地域のためにも、会の存続のためにも、会員の拡大という課題はとても重要なポイントです。新しい仲間が増える事により、JCの魅力である「出会い」というものが生まれ、皆が刺激し合うことにより個々のレベルアップに繋がります。そして、皆がレベルアップすることによりこの地域のレベルアップにも繋がります。若くて創造力豊かな仲間が一人でも増えることで、この地域が今よりもさらに「豊かで活力ある」地域になることを信じています。

 共に新たな一歩を歩んでみませんか。(社)奴奈川青年会議所は若くて元気な人材を求めています。


[ JC(青年会議所)ってなんだろう? ]

≪JCってなに?≫
日本の青年会議所(JC)運動は1949年に東京青年商工会議所の設立から始まりました。その理念は全国に拡がり、各地に次々と青年会議所が誕生し、1951年には全国の調整機関として社団法人 日本青年会議所(日本JC)が設けられました。

 現在、国内には745のJCがあり、約54,000人の会員がJC運動の三つの信条「修練・奉仕・友情」のもと、よりよい社会づくりをめざし、様々な社会的課題に取り組んでいます。さらに国際青年会議所(JCI)のメンバーとして各国の青年会議所と連携し、国境を越えて様々な活動を展開しています。

≪JCの三信条≫

  • “ 修 練 ”(TRAININNG)  地上最大の宝は個々の人格にあり
  • “ 奉 仕 ”(SERVICE)     社会への奉仕は人生最大の仕事である
  • “ 友 情 ”(FRIENDSHIP) 友情は国家主権に優先する

三信条の意は、JC運動とは、若い人々が集まって自己啓発・修練を行なう場であり、培われた力を用いて地域社
会にサービス(奉仕)することである。そして、そのトレーニング・サービスを支える力として、会員全員、同志を貫くフレンドシップ(友情)がある。というものです。

≪JC宣言≫

日本の青年会議所は
混沌という未知の可能性を切り拓き
個人の自立性と社会の公共性が
生き生きと協和する確かな時代を築くために
率先して行動することを宣言する


[ どんな人の集まり ]

「JCにはどんな人が入会しているのでしょうか?」
  1. 20歳〜40歳までのこの地域に住んでいる人。または働いている人。
  2. まちづくりに意欲のある人。
  3. 仲間づくりをしたい人、仲間を増やしたい人。
  4. 自分のスキルアップを目指したい人。
  5. 地域のことをもっとよく知りたい人。
    「会員の中にはあなたが知っている人がいるかもしれません。」
        知っている人がいるかな? → 【基本資料−組織図】

[ 奴奈川JCこれまでの活動 ]

≪今年の奴奈川JC≫

奴奈川JCでは「豊かで活力ある」地域を創造するために今までもこれからも様々な事業を展開しています。今年度は、特に『青少年の育成』・『スポーツを通しての親子の触れ合い』・『若者の交流』という分野に重きをおいて事業展開してゆきます。

今年は具体的にどんなをするの? → 【基本資料】

メンバーの感想や、事業の詳細はこちら! → 【ブログ(みんなの窓)】

≪過去の実績≫

これまでにも奴奈川JCは様々な事業を展開してきました。『JCって何をしているのかわからない。知らない。』と考えている地域の人々もいるようですが、実は身近なところで関わっていたり、参加したり、目にしたりしていることがあるかもしれません。これまで奴奈川JCが行ってきた主な事業をご紹介します。

  • 1975年 [第1回おまんた祭り] 
    「♪みんなで踊ろうよ、ソーレソーレソーレソーレ♪」
    糸魚川市民なら誰もが知っているおまんた祭りも、実は青年会議所が立ち上げました。「おまんたー」、「ソレソレ」のお囃子で盛り上がる民謡流しや大花火大会など、市民総出で繰り広げられる夏祭りです。
  • 1983年 [みんなで歌おう第九交響曲]
  • 1986年 [翡翠と日本文化を考えるシンポジウム]
  • 1992年 [日本海クラシックカーフェスティバル] (現・日本海クラシックカーレビューHP)
    「全国のクラシックカー・ファンよ、集まれ!」
    今年で16回目を迎えようとしているクラシックカーレヴューも青年会議所が設立したもので、国内のクラシックカーの祭典としても名高いもので、年々人気が高まっております。
  • 1994年 [第1回姫川ポートフェスティバル]
    「日本一の港 姫川港」
    2005年のポート・オブ・ザ・イヤーでグランプリを受賞した姫川港。その受賞理由の一つに毎年開催されている“姫川ポートフェスティバル”が盛況であることも上げられました。
  • 1995年 [ミュージカル「カチューシャの歌」]
  • 2002年 [ぬながわフィルム・コミッション]  (HP)
    「糸魚川の魅力を全国に発信!」
    この年に撮影されたVシネマ「北の狼」のロケ地はなんと全て糸魚川市内。地元糸魚川のオールロケにより作製された作品を全国の映画ファンにPRしました。
  • 2005年 [少年野球教室]
    「輝ける野球少年たちへ!」
    この年の5月に開催された少年野球教室には、プロ野球の選手なども交え晴天の中楽しく行われました。市内の野球少年たちはプロ野球選手から直接指導を受けることができました。
  • 2006年 [米楽園(My Land)] (ブログ)
     「糸魚川発 “仮想まちづくり村プロジェクト”」
    地域の魅力を再認識しようと、メンバーと市民が協力して1年間かけて米作りを体験した事業です。1年かけて作った糸魚川産のお米の良さに気付き、人と人との絆の大切さや地域の魅力をさらに再認識しました。

など、その他にも多数の事業を展開しています。あなたの知っている事業はありましたか?
これからも奴奈川JCは「豊かで活力ある」地域を創造するために前進してゆきます。

≪1年間の流れ(2006年度の場合)≫
ここでは実際に1年間どんなことを行っているのかを紹介します。
1月 新年祝賀会
2月 例会(7日)
3月 例会(7日)
4月 例会(7日)・まちづくりプロジェクト/田植え(30日)
5月 例会(8日)・県サッカー大会(13・14日)・ゴルフ大会(21日)
6月 例会(5日)・少年野球教室(4日)・県野球ソフトボール大会(11日)
7月 例会(7日)・県ゴルフ大会(16日)
8月 例会(7日)・納涼会(19日)
9月 例会(7日)・講演会(13日)・公開委員会(15日)・県大会(17日)
10月 例会(10日)・全国大会(5〜8日)
11月 例会(7日)
12月 家族会
今年のスケジュールは?→ 【スケジュール】
昨年はどんなことをしたの?→ 【2006年度 奴奈川JC HP】

≪その他 気になること≫

  • JCは理事長(1年毎に交代)の指揮のもとに幾つかの室や委員会に分かれた組織で構成されています。
    → 【基本資料−組織図】
  • 毎月7日に行われる例会やその他さまざまな事業に向けて各委員会が活動しています。
    → 【基本資料−委員会】
  • それぞれの委員会で検討された議案を執行部会(理事長や副理事長)や理事会(執行部の他各委員会の委員長や副委員長)という会議で協議や審議を重ね、事業を展開してゆきます。
  • 会の運営費は会員の会費(1人月1万円の年間計12万円)で運営しています。
    → 【基本資料−収支予算】
  • 会議会場は糸魚川商工会議所の2階で行われることが多く、時間帯は夕刻からのことが多いです。
    → 【地図(糸魚川市)】
  • 会議や例会開催日は平日で、事業の開催日は土日、祝日などに開催することが多いです。
    → 【スケジュール】

熊倉理事長

真剣に自分を高めたいと考える糸魚川地域の40歳までの若いみなさんと
真剣に会社の将来を担う人材を育てたいと考える経営者のみなさんへの
(社)奴奈川青年会議所 理事長 熊倉 登 からのメッセージです。

『おまえの野球には、心がない!』

私は、100人の部員の前で、たった1人怒鳴り飛ばされていました。

脱帽、直立不動。
一体、いつまで続くのか?私の後ろの50人の野球部員はみんなそう思っていました。
私はひとりで、怒鳴られ、ののしられ、罵倒され続けました。
これは、私がまだ大学1年生、18歳だったときの話です。
夏休みの長い、長い、本当に長い一日の練習が終わり、最後に野球部全員が整列しました。もう日が暮れてあたりは暗くなり始め、野球場には長い影が落ちていました。

『おまえの野球には、心がない!』
『常にスタートは心だ!』
『心の態度、心の意識を高めなくてはならない。』

こんなことを言われたのは、人生で初めての経験でした。
頭をガ〜ンとやられたようなショックでした。

私は、監督が理解できなかった。

小さい頃の私は、いつも野球をしていました。我々の世代では、近所の小学生が集まると、自然に野球が始まったものです。ちょうど巨人の王貞治選手は、ホームラン記録を更新していた頃です。

『大きくなったら、プロ野球選手になりたい!』

無邪気ですよね。まあ、これも私の年代ならみんなそうなのですが、私もごく自然にプロ野球選手を夢見るようになりました。

中学校へ進み、野球部へ入部。本格的に野球に取り組み始めました。
そして、地元の糸魚川高校へ進学。当然のように野球部へ入部。
日本中の高校球児と同じように、私も甲子園を目指しました。

高校時代の私は、口数が少なく、大きな声を出してチームを引っ張るというタイプではありませんでした。どちらかというと、ひとりで黙々と練習に励むタイプでした。
まあ、イチロー選手の高校時代みたいな感じすね。

自信がありました。バッティングも守備も、同年代の選手には、負けない自信がありました。実際、プレーで負けたと思ったことはありません。打ち損じても、「次は必ず打てる!」という確信が、いつもありました。

そして、1985年。高校3年の秋。
糸魚川高校のグラウンドにプロ野球全12球団のスカウトが集まり、私のバッティングを見守っていました。

この年のプロ野球ドラフト会議の目玉は、甲子園を沸かせたPL学園高校の桑田、清原のKKコンビ。ドラフト会議直前のスポーツニュースでは、桑田、清原とともに、私のバッティングの映像が、全国に流れていました。

夢だったプロ野球が、現実の目標となってきました。

このまま打ち続ければ、プロだ!

その後、大学日本一の駒澤大学へ進学。
さすがに大学日本一のチーム。驚きました。自分の周囲は甲子園で活躍した有名な選手ばかり。実際、のちにプロ野球で活躍する選手ばかりでした。

『こんな中で、本当にやっていけるのだろうか?』

期待より、不安が先でした。しかし、私は打ちまくりました。
1年生の春からリーグ戦に出場。代打から始まり、途中出場、そして先発。
打順も徐々に上がり、そのシーズンの最後は、クリーンアップを任されていました。

『このまま打ち続ければ、卒業後、プロだ!』
憧れだったプロ野球が、もう目の前にある。そんな気持ちでした。

ところが、私のバットから快音が消えました。
だんだん試合からも遠ざかりました。試合に出られない経験も初めてでした。
練習にも身が入りません。すべてが悪循環です。

『打ち損じても、次は打てる。』
すべてのボールが、もう打てそうにないと思えました。

私は、生まれてはじめて挫折を経験しました。

それから卒業するまでの3年間を、私は今でも悔やんでいます。
私の関心は、野球以外のほかのことに向けられました。あまりにも夜遊びがたたり、あげくの果てに、大学4年生のときには、練習への参加を禁止されてしまいました。                                      

決まっていた社会人野球への就職もパーになってしまいました。
さすがに、これではまずいと思い、私も考え直しました。
ユニフォームを取り上げられていたので、ふんどし一丁で練習に参加し、近所の人から見苦しいとの声が上がり、ようやく練習への復帰を許されました。

ユニフォームも取り上げられた。

合宿所で同じ釜の飯を食べていた先輩や同級生、後輩たちが、卒業後何人もプロの世界へ進みました。それを横目に、なんとか拾ってくれるチームも見つかり、私は社会人野球へと進みました。

新しい挑戦でした。
しかし、現実は厳しいものでした。
その5年後。27歳になった私は、ある決断をしました。

糸魚川へ帰郷し、家業の建設業を継ぐ。
『プロ野球選手になる』というは、私にとって小さい頃からの夢でした。
プロへの憧れは今でもあります。もうたっぷりお腹出てきた今でさえ、まだやれるものなら、やってみたいといつも思っています。

でも、ついに叶いませんでした。
私にとって、人生最大の挫折でした。

そして、人生最大の挫折

今振り返ってみれば、私の人生は挫折の連続だったように思います。
野球選手として華やかな活躍をしたことより、『何でこんな無駄なことばっかりやってきたのか。』という後悔の思いがずっと強いです。            
糸魚川に戻り、家業の建設業の仕事に従事しました。
私にとっては、これから一生涯にわたる仕事です。向上心をもって取り組みました。少しずつ仕事を覚え、会社経営の勉強も始めました。早く一人前になりたい。みんなから認めてもらいたい。そう思い努力しました。

でも、ここでも現実は、そんなに甘くはあリません。
社長である父に「もっとこうした方が良い。」と意見しても、「おまえは、まだ何にもわかってない!」と頭ごなしに否定されてばかりでした。

そうこうしているうちに、また毎晩会社の同僚や昔の友人たちと飲み歩く毎日を送るようになっていました。また、大学時代の自分に逆戻りです。
(この辺の話は、これを読んでいるみなさんのほうが、詳しかったりして・・・・。)

野球をという大きな目標を失った私の心は、何か満たされず、どこか虚ろでした。

最先端のビジネススキルに興奮!

私と青年会議所との出会いは、ちょうどその頃です。
高校の野球の一つ上の先輩から誘われたのが、きっかけです。

『おまん、一緒に、ちょっと勉強してみんかね?』

勉強?意外でした。
いつもは、競馬にマージャン、パチンコが大好きな先輩が、『勉強してみんかね?』
私は、「きっとまた何か悪い勉強に違いない。」と想像してしまいました。

「とりあえず一回、行くだけ行ってみよう。」と思い、誘われるまま参加しました。
でも、そんなことはありませんでした。

初めて参加したのは、「例会」と呼ばれる毎月開催される勉強会でした。
その時のテーマは、パソコン教室。今、パソコン教室といえば、なにをいまさらですが、10年以上前は、まだメールもネットもほとんど普及していない時代です。
『ウォ〜、最先端のビジネススキルだー!』私は一人で興奮しました。

しかし、最大級の興奮が襲ってきたのは、パソコンではありませんでした。
いつも競馬にマージャン、パチンコの先輩が、みんなの前で発表する場面でした。
内容は、もう覚えていません。たいした内容ではなかったはずです。
でも、これには、驚きました。驚いたというより、もう度肝を抜かれました。

いつもの鉄工所の作業服姿とは一転、流行のスーツでビシッと決め、ゆっくり歩を進め、高校球児のように礼儀正しく国旗に向かって一礼。一段高い演壇の上から朗々と
スピーチを始めました。

『へっ〜!カッコいいー!』

これは、マジです!本当に演台の上でスピーチをする先輩を見て、
『オレもあんな風になりたい!』
『みんなの前で、堂々と自分の考えを話せるようになりたい!』
と思いました。

『オレもあんな風になりたい!』

それと同時に、学年では一つしか違わない先輩から、社会人としての大きな差を見せつけられました。いつもは競馬とマージャン、パチンコの話ばかりしている先輩も、学校を卒業後、しっかり社会人として必要な知識や仕事上の技術を身につけていました。また、家業の鉄工所に入ってからも、将来経営者として必要となるリーダーシップやマネジメントといったことも青年会議所で学んでいたのです。

その先輩に比べると、大学から社会人へと野球一筋だった私は、あまりにも未熟でした。当時、会社の朝礼や業界団体の集まりで、よく人前で話す機会がありました。
ですが、なかなか上手く話せず、苦い思いを何度もしていました。
だから、余計にそう思ったのかもしれません。

青年会議所では、例会と呼ばれる毎月の勉強会の終了後、第二例会と呼ばれる懇親会があります。少し堅苦しい例会に比べて、第二例会はお酒も入り、ザックバラにひざ突き合わせて話します。まあ、早い話が、飲み会です。
その席で私は先輩に、思い切ってお願いしました。

『他の先輩方を紹介してもらえないでしょうか?』

先輩は、「えっ?」という意外な顔をしていました。無理もないことだと思います。
高校時代の口数も少なく黙々と練習する私の姿からは、諸先輩を紹介してくれと自分からお願いしてくるとは、きっと想像できなかったのでしょう。

あんな風になりたいという憧れを持ったのは、野球を失ってから初めてでした。
今でもよく分からないし、うまく言えないのですが、
『とにかく、まずやってみよう!』
という気持ちになりました。

これが、私と奴奈川青年会議所との出会いです。

とにかくまずやってみよう!

それから10年。昨年夏、私は奴奈川青年会議所の次のリーダーに選ばれました。青天の霹靂とは、まさにこのことです。まさか、自分が・・・とは思ってもいませんでした。自分では、まだまだ未熟で勉強中だと思っていたのですが、周りは、私をそれなりに認めてくれていたということなのでしょうか。
少し迷いましたが、思い切って引き受けることにしました。

そして、昨年秋。新年度の予算をまとめるミーティングをしていた時のことです。
いつもより少し早く終わったので、駅前のいつもの店へ向かいました。
いつものようにビールを酌み交わしながら、「どうしよう?こうしようか?」新しい年の事業計画を、ひざを突き合わせて語り合っていました。

その晩は、珍しくリーダーシップのスタイルについて話が盛り上がっていいました。

『熊倉さんは、いつも迷った場面で、必ず志の高い道を選びますよね。』

「???」「・・・・・・・・・・・・・・。」私は、目が点になりました。
『志が高い道を・・・・』こんなことを言われたのは、初めてでした。

これまであまり言葉を交わしたことのない後輩でした。
自分のことをそんな風に見てくれている後輩がいる。
そのことに驚きました。
青年会議所で過ごした10年間で、私も少しは成長できていたのかもしれません。

心があれば踏み出せる

20年前の夏、私は大学の野球場で
『おまえの野球には、心がない!』
と言われました。
あのときは、それが何を意味していたのか、まったくわかりませんでした。

でも、今はわかります。
なぜ、私の野球には、心がなかったのか。
どうして、常にスタートは心なのか。
どうやって心の態度、心の意識を高めていくのか。

もしかしたら、まだわかっていないのかもしれません。
でも、わかっていない自分に気づいただけでも、成長だと思っています。

10年前、私は奴奈川青年会議所に入会しました。
いつも競馬にマージャン、パチンコの先輩から「一緒に勉強しよう!」と誘われ、
最初は半信半疑でした。でも、今振り返ればあのときが自分の転機でした。

それから『とにかくまずやってみよう!』と無我夢中で、わけもわからず、ただがむしゃらにやってきました。奴奈川青年会議所で過ごした10年間のすべてが、私にとっては勉強でした。今では、本当によかったと思っています。

これを読んでいるあなたが、新たな一歩を踏み出すことを、心から期待しています。

平成19年1月1日
社団法人 奴奈川青年会議所
第40代理事長
熊倉 登

おわりに

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

(社)奴奈川青年会議所は、
本当に「糸魚川」というまちを愛し、
真剣に「自分を高めたい」と考える
40歳までの若者が集う「自己研鑽の場」です。

志あるあなたと逢える日を楽しみに待っています。
最後に、私がいちばん大切にしている言葉を、志あるあなたに贈ります。

<姿即心>(すがたすなわちこころ)

常にスタートは心だ。
心の態度、心の意識を高めなくてはいけない。
意識、意識。 意識を重ねることで無意識になる。
必要なのは心のキャッチボール。心が動くと足(身体)が動く。
そうすればフットワークが生まれる。具体的に行動することで
心の守備範囲も広がっていき、出会いや発見が生まれ、
どんどん人との付き合いも高まる。

<心の態度>

常に積極的な心の態度を持ち続けることが大切。
また、普段の生活の中においても、「だめ」という
否定的・悲観的な言葉を使わないように意識しなければならない。
消極的になると、悲観し、相手を批判し、否定するようになる。
そんなことでは、いい仕事もいい人間関係も作れない。
常に前向きで、過去には拘らないこと。

いつも相手に感謝の心を持ち、嘘をつかず、
人を斜めに見ることはせず、お天道さまとともに、
さあ一日がんばろうという気持ちになれば何もつらいことはない。
(駒澤大学野球部前監督 太田誠の言葉)

このメッセージを、私の恩師、駒澤大学野球部前監督 太田 誠 に捧げます。

■父から事業を継いだが、これからどうすればいいのだろうか?

■古参社員から猛反発に遭い、どうやったらいいのか?

■独立して新しく事業を始めたが、どう人脈を作ればいいだろうか?

■会社の方針をめぐって、社長の父と大喧嘩をしているのだけど・・・?

■やる気のない同僚とは、もうやってられない! 

糸魚川で働く
若き経営者、起業家、社内リーダーの
共通の悩みの根本に
青年会議所です。

これからの自分の在り方を根本から見つめてみる。
青年会議所は、真剣に「自分を高めたい」と考える
40歳までの若者の自己研鑽の場です。

(社)奴奈川青年会議所には、40年の歴史があります。
これまで輩出した多くの卒業生が、企業経営者としてのみならず多くのイベントやボランティア、スポーツクラブ等のリーダーとして糸魚川地域で活躍しています。

糸魚川の夏の風物詩『おまんた祭り』や毎年9月に開催される『日本海クラシックカーレビュー』など、(社)奴奈川青年会議所からスタートしたプロジェクトが、そのまま糸魚川地域を代表するイベントに育った例もたくさんあります。

しかし、残念ながら(社)奴奈川青年会議所は、糸魚川ではあまり知られていない団体です。それは、(社)奴奈川青年会議所は、未来のリーダーが自己研鑽に励む場だからです。

経営者として、社内の参謀として、ボランティアやスポーツ、地域をになう人材となるべく自己研鑽に励む若者の集団を、そうではない多くの方が知らないことは当然なのかもしれません。

●この「青年会議所活動内容紹介レポート」の目的

このレポートは、まだ青年会議所をよく知らない40歳までの若い方に、青年会議所を知ってもらうことを目的として書かれています。同時に青年会議所が、ビジネスパーソンにとって必要なスキルを高める上で、なぜ極めて有効な自己研鑽の場=トレーニング機関であるのかを中心に紹介しています。とりわけマネジメントとリーダーシップに特化する形で、青年会議所の活動内容を紹介しています。

現在も現役メンバーが、毎月開催される自発的な勉強会である『例会』や、小さな成功体験を積むためのプロジェクトである『事業』を通じて、未来のリーダーとなるメンバーたちと切磋琢磨し、自己研鑽に励んでいます。

真剣に「自分を高めたい」と考える若者の自己研鑽の場。
それが青年会議所です。

  1. 例会
    • 例会とは、原則として毎月7日に開催されるメンバー自身の手によって企画、立案、運営される自発的な勉強会です。青年会議所に所属するメンバー全員が参加します。
      例会は、例会セレモニーと例会アワーの2つの時間帯から構成されます。

      例会セレモニーとは、一般企業でいうところの朝礼のようなものです。事務的な連絡事項の伝達だけではなく、理念やヴィジョン、リーダーの考えをメンバー全員で共有します。
      例会アワーとは、各メンバーが所属する委員会が持ち回りで担当する勉強会です。講師をお招きしての講演会やスキルアップのためのセミナー、グループワークの形式をとることもあります。研修会をイメージするとわかりやすいかもしれません。

       通常はスーツ、バッチ、ネームプレートを着用し、メンバー限定の非公開で行われます。
      しかし、テーマによって、広く一般の方にも参加、聴講してもらったほうが良いと判断される場合には、一般の方も参加可能な公開例会となる場合があります。


      変化はコントロールできない。できるのは、変化の先頭に立つことだけである。

      変化はコントロールできない。できるのは、変化の先頭に立つことだけである。今日のような乱気流の時代にあっては、変化が状態である。変化はリスクに満ち、楽ではない。悪戦苦闘を強いられる。だが、変化の先頭に立たない限り、生き残ることはできない。急激な構造変化の時代を生き残れるのは、チェンジ・リーダーとなる者だけである。
      (『ネクスト・ソサエティ』P.Fドラッカー 上田惇生訳 ダイヤモンド社 )

      誰もがリーダーであります。
      自分のことは自分で決めなくてはなりません。その為には、自分自身に対する自己リーダーシップを発揮しなければなりません。急激な構造変化の時代を生き抜くチェンジ・リーダーとなるべく、あなたの未来を意識してください。

       青年会議所の例会を、まだ知らないあなたは、例会に体験参加してください。
      自らを高めるべく、あなたが自ら変わるのです。

  2. 委員会
    •  青年会議所に所属するメンバーは、原則として委員会に所属します。
      委員会は、統括する副理事長、室長のもと、委員長1名、副委員長2名、そのほかの委員から構成されます。そのほかの委員は、フロアメンバーとも呼ばれます。平均すると委員会は、毎月1回程度開催されます。

       委員会の活動の中心は、「事業」と「例会」の企画、立案、運営です。
      例会とは、メンバーによる自発的な勉強会です。また、事業とは「まちづくり、ひとづくり」に資するプロジェクトです。

      委員長は、そのプロジェクトの文字通り中心に位置します。ひとつのプロジェクトを企画し、それを事業計画として立案します。立案された事業計画は、委員長により理事会でプレゼンテーションされます。こうして承認された事業が、はじめて実行に移されます。

      委員長の仕事とは、人員の配置、事業の選択、予算の配分・・・とまさしくヒト、モノ、カネを動かすことです。こうした意味において、委員会は小さなプロジェクトチームといえます。


      分権制の最大の強みは、人材開発である。 

      分権制の最大の強みは人材開発である。この一言だけで、他のいかなる組織構造よりも優れたものとなる。
      (『マネジメントー課題・責任・実践』P.F.ドラッカー 上田惇生訳ダイヤモンド社)

       青年会議所は、地域社会において最高のトレーニング機関のひとつです。それは、この委員会のシステムによります。委員会に最大限の責任が与えられることにより、最高の人材育成機関となりえます。

      もし今、あなたが、自分自身のリーダーシップやマネジメントについて漠然とした不安があるならば、その答えが、ここにあります。

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